祖母からの日記帳 8
#祖母からの日記帳 の続きです。
昭和58年3月だったと思います。
引越し料、家賃、敷金、家具、総て不自由のない様に喜々津のお祖父さんが援助して呉れました。
喜々津へ来てからもお父さんは相変わらず定職につかずあそこに二ヶ月、ここに一ヶ月と職を変わりました。
昭和58年12月貴女が二才になってから、お母さんが働く事になりました。貴女は私が預かって面倒見る事にしました。お母さんが働く様になると何故かお父さんは働く事に積極的になって行きました。
お母さんの給料ではとても食べる事が出来ず、いつも口論が続きました。
結局私達が家賃や食料を援助する事を続けましたがお母さんは、お父さんの性格に不満を言うようになり昭和60年6月頃から何だか離婚を考えるようになった様です。お父さんとけんか口論をしては家を飛び出し、それでも喜々津のお祖父さんやお祖母さんに心配掛ける事に気を配り又、貴女の事が可愛くて家へ帰っておりました。
貴女はいつも、お父さんとお母さんの生活を私に話して呉れました。余り幸せでないお母さんの事を知りました。
続きます…。
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