祖母からの日記帳 9

#祖母からの日記帳 の続きです。


昭和61年4月、貴女は幼稚園へ行く事になりました。

お母さんもLと言う会社へ仕事へ出かけ、一応お父さんもパチンコ屋へ勤め安定した生活になって行ったようです。しかし昭和62年2月お父さんは又もパチンコ屋を辞めてしまいました。


お母さんの給料だけではとても生活出来ず、困り果ていよいよ離婚を決意しました。昭和62年の8月です。働かないお父さんは口論の末暴力を振るい、貴女にまで手を掛ける始末で恐ろしくなったお母さんは貴女を連れてお祖父さんとお祖母さんの家へ逃げて来たのです。


お父さんは本当に利己主義で自分だけが立派な人間で他の人は皆駄目な人間と思っております。

理屈にならない理屈を言って人を困らせます。

長崎のお祖父さんもお祖母さんも私達も近所の人もお父さんを相手にしなくなりました。どこへ行ってもお父さんは信用のない人間だったのです。


貴女のお母さんはお人よしで人を疑う事を知りませんでした。

貧しくはありましたがお祖父さんが真面目に厳しく生きる人でしたので家庭は明るく自由に展開していきました。


お母さんはその中で素直に優しくまるで温室の花の様に育ってゆきました。貴女のお父さんと廻り逢った時、お母さんは始めて家庭とまるで違った空気に触れたみたいにそちらに吸い込まれてゆきました。貴女のお父さんは自分が超能力者でお母さんを1日見た時からお母さんと結婚すれば一生幸せになれると信じた。どんな事をしてもお母さんと結婚するといってお母さんを私達の反対を押し切って連れ出したのです。


私は一目貴女のお父さんを見た時、この人と知り合った事はお母さんはもとより私達一家は不幸に落ちてゆくことを感じました。それでもお母さんはお父さんに日、一日と感化されてゆき、私達の言う事を聞かなくなりました。

でも天の神様は良く見ていらっしゃるものです。

お父さんとお母さんは次第に不幸への道をたどり始めました。

親不孝、親のいう事を聞かない人はきっとその報酬が来るものです。罪を受けるものです。


貴女が4才5才と大きくなって来るにしたがって、お父さんと全く似た人間になって行く事にお祖母さんは愕然としました。どんなに躾をしようとしても聞き入れてくれなくなりました。幼児期の反抗と言われる現象でせうが、あまりにもお父さんに似て来る貴女を何だか悲しく、それでも毎日毎日お祖父さんの家で暮らしました。ピアノも弾きました。泥遊びもしました。字も覚えました。絵も描きました。ねんどもしました。玩具で遊びました。お友達も沢山遊びに来ました。お菓子もいっぱい食べました。アイスがとても好きでした。パンも食べました。ヨーグルトも食べました。のりまきおにぎりが好きでした。お祖母さんの作る食事を美味しい美味しいと食べました。あまり泣きませんでした。一度笑いだしたら止まりませんでした。


続きます…。

エステティックサロン風和利

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